襲名

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芸人は顔と名前を覚えてもらうのが一番です、とよく噺家はいう。では名前というのはどうやって決まるのでしょうか。
普通は入門する時、師匠が自分の高座名の一文字と、入門者の名前の一文字を合わせたり、あるいは一門の前座名で、まだ使われていないものを探してきて、つけたりします。
その後、二つ目になるときや、真打になるとき、改名していくのです。
このように名前が時に応じてかわっていくのは歌舞伎、落語などの世界でよくみられることです。
殊に歌舞伎の世界では襲名披露には莫大なエネルギーを使います。どんな名前をもらえるかで、その後が決まってしまうといってもいいのではないでしょうか。
古いしきたりを重んじる歌舞伎では一門の名前がほぼ決まっていて、その出自で自動的につけられるといってもいいくらいです。
最近では猿之助襲名が話題になりました。香川照之の中車襲名についても様々な意見が寄せられたのは記憶に新しいところです。

他には、市川海老蔵が団十郎、中村勘九郎が勘三郎になるというわけです。どこの家にうまれるかで、一生の芸人としてのランクが決まります。世襲制ががっちりと組み上がっているのです。
それに比べれば、落語の世界はずっとゆるいかな。
昨今でこそ、二世、三世が珍重されますが、その底には多分にマスコミをうまく利用しようとする芸人側の思惑もみてとれます。プロデューサーとして活躍している春風亭小朝などには内外からの風当たりも強いと聞きます。
日本人は、何代目という響きが好きなんでしょう。そこに血縁のもつ安心感を感じるに違いありません。
芸人の中には、名前に固執せず、先代の林家正蔵のように、再びその名跡を海老名家に返し、自らは彦六を名乗ったりもした人もいます。
人気のある二つ目はそのまま真打になっても同じ名前を名乗ることもあります。由緒のある名前は、ほとんどが使われているので逆に昔の高座名を発掘したりしなくてはなりません。これも一仕事です。かつては大きな名前だったが、今ではその存在を知る人も少ないという噺家が厳然といたりするのです。
三遊亭圓生の名跡を誰がつぐのかなどという話がしばらく前に話題になりました。円丈、鳳楽、円窓の三人です。結局うやむやのまま、当分は継承者が出そうもありません。怪文書まで飛び出して一騒動になりました。
山崎家が留め名としてこれをもっている限り、ほかの人は継げないということになります。これもおかしなシステムといえばいえます。
相撲の世界でも一門という発想があってなかなかうまくいきません。親方株を協会預かりしようという話がありました。しかし、これについてもまた元の黙阿弥でしょうか。こっちは名前だけではなく、億単位の金銭がからむ、もっと現実的な話です。
ところで桂文楽のような名前が簡単に弟子の一人に譲られたケースもあり、評論家の一部には、芸がしっかりしているから名を継ぐというわけでもないという諦めにも似た声があることも事実です。元々、任ではない大きな名前をもらうと、本人もつらく、周囲もなんといっていいかわかりません。似たような話はあちこちで耳にします。個人的には柳家小満んに継いでもらいたかった。彼の芸と文楽の名は実に似合っていると思うのですが…。
大名跡、柳家小さんの名前も小三治、花緑ともに継ぎませんでした。そこにはさまざまな思惑があったことと思わます。このことを書き出すと、また長くなりそうです。現六代目小さんにもつらいことは多いことでしょう

さて名前を何度もかえた芸人で一番有名なのは、古今亭志ん生です。ざっと並べてみるだけで、愉快な気分になります。
三遊亭朝太で前座、三遊亭圓菊で二つ目、金原亭馬太郎、金原亭馬生の後、金原亭武生、金原亭馬きんで真打、
その後、古今亭志ん馬、小金井芦風、 三代目小金井芦州門下で講釈師となります。さらに古今亭志ん馬、古今亭馬きん、古今亭馬生、柳家東三楼、初代柳家三語楼門下、柳家ぎん馬、柳家甚語楼、隅田川馬石、柳家甚語楼、古今亭志ん馬、金原亭馬生、古今亭志ん生となりました
何度度名前をかえたのか、正確にはよくわからないそうです。それだけでも実にたのしい愉快な話です。
名前は芸人の命です。それだけにこの話題は悲喜こもごもといったところでしょうか。

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