噺家になるには、なにがなんでも真打の師匠に入門しなくちゃいけない。これが一番難しいのです。
というのも相撲の世界と違って、スカウトというのがないからです。
つまり頼まれてなるんじゃない。
最初、これでものになるのかなあなんて首をかしげていたのが、案外大化けして名人上手になったりする。
師匠にもよくわかんないのです。
だからスカウトなんかしません。一生の面倒なんてみきれないし。
だいいち、お金がかかる。前座の数年間、師匠はかなり食費の面倒をみなくちゃなりません。
着るものも時には買ってやる。小遣いもやる。
その他、もろもろ。精神面でのバックアップもしなくちゃいけない。
そんなに大変なことをなぜするのか。
簡単にいえば、自分が昔師匠に食べさせてもらったことに対する、恩返しみたいなもんなのです。
あとは難しく表現すれば、芸の継承ということかも…。
だいいち、入門したからといって、その先満足な暮らしができるかどうか、それも未知数なのです。
なんの保証もないしね。
だからやめていく人も大勢いる。引導を渡す場合もあるし…。
前座のうちはともかく、二つ目になっても廃業します。
さて入門編です。
まず師匠になってもらいたい噺家をみつける。ここまでが大変。
師匠たちもあんまりしつこく追いかけ回されると、怖くなる。だから逃げる。
断る。それでもまた来る。
しまいには根負けして、じゃあ親を連れておいでということになります。
ちょうど前の前座が二つ目になって、身の回りの世話をしてくれるのが欲しくなったなんて話も聞きます。
入門志願者が電信柱に隠れて、何日も過ごしたなぞという逸話もあります。
入門するにはよほど、下調べをしなくちゃなりません。
芸に惚れるのはもちろんだが、それだけじゃいけない。
よく言われる言葉があります。
噺家になるのは職業の選択だが、師匠を選ぶのは人生の選択である。
それくらい命がけでやらなくちゃいけない。
まず師匠の年齢。これは大事。できれば40代が理想。理由はいろいろです。
自分が真打になるまで生きていてもらわなくちゃいけない。
そうでないと、だいたい一門の他の師匠に拾ってもらうということになる。
これがなかなかに大変なのです。
さらには兄弟弟子。
こちらの方が一番の難関か。
師匠とはうまくいっても、兄弟子との相性が悪いという話はいくらでもあるからね。
兄弟弟子は選べないのだ。ここがきつい。むしろ、こっちの方が眼目かも…。
できたら誰も弟子のいないところへこっそりというのがいいんですけど。
しかしそんなにうまい話はないけどね。
というわけで、人望のある師匠のところには弟子がぞろぞろということになる。
互いに切磋琢磨する環境だと芸も伸びます。
その反対のところに入ったら、これは考えるだけで怖ろしい。だからリサーチは大事です。
上にあげた写真の後半3人のところには、たくさんいい弟子がそろってます。
最初の喬太郎師匠は、なぜか弟子をとってない。随分と希望者が押しかけてるみたいです。
でも断っているとか。
噺家にもいろいろと事情があるんでしょう。
この話はだんだんと厄介なところに入っていくので、ここいらで切り上げるかな。
なんたって大人の世界です。
そんなに簡単じゃない。
師匠運、兄弟子運なんてのもあるでしょ。それも実力のうちだ。