しくじり

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いい言葉です。なんとなく情緒がある。もっともしくじったご当人はそんなに暢気な気分じゃいられないでしょうけど。
噺家のしくじりは、それはそれはさまざま。
一つ一つあげていたら、キリがない。
最悪の場合は破門です。
おまえはそれほど大きなしくじりは重ねていないが、合わせ技で一本だ。今日で破門なんていう本当の話もあります。

志ん生なんていう人は、どこまでがしくじりなのかよくわからない。
それでも噺家を続けられたというところが、ものすごいところです。
師匠をしくじった噺家を、別の師匠が引き取るという話も結構あります。
協会が二つあるのも、そういう意味では合理的なのかもしれません。
このあたりの話は妙に生々しいので、やめておきましよう。

さて噺の方で、しくじりを一つとりあげるとすれば、「富久」でしょうか。
酒が元で出入り先をしくじっていた幇間の久蔵、日本橋横山町の元の旦那越後屋宅へ急ぎます。半鐘が鳴って火事をつげているからです。
急いで駆けつけると、意気に感じたご主人の怒りがとけます。
見舞い客の手伝いをしながら、主人の許しを得て一杯やっていると、疲れも出て寝入ってしまう。
また半鐘が鳴る。今度は久蔵の住まい安倍川町だという。

急いで戻ると、長屋は丸焼けです。
仕方なく横山町に戻って居候をしている。
すると深川八幡の富の当日、見事千両富に当たります。
しかし富札がない。火事で燃えてしまったからです。いくら悔しがってもどうにもならない。

気落ちして家に戻ってくると、鳶の頭に会い、大神宮さんの神棚を火事場から持ち出したという話を聞きます。
ここから急転直下、久蔵に真の幸運が訪れるのです。
桂文楽の十八番です。
これほど幇間という人間の横顔を描写した人はいない。「鰻の幇間」もよかった。

こういう噺なら、最初のしぐじりも笑ってすませられるんですけどね。
とにかく実にうまかった。
千両富にあった喜び、燃やしてしまったと知った時の悔しさ。
そして再び、それを手にした時の喜び。その表現…。
名人芸というのは多分、こういうのをいうんでしょう。

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