圓生の録音室

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落語
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三遊亭圓生が精魂こめて語った「圓生百席」。
たぶん、一度くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。
すべてスタジオ録音です。
それに当初から携わったのが、京須偕充(ともみつ)さんです。
少しでも落語に関わっている人なら知らない人はいません。

この本は、CBSソニーのレコードディレクターだった彼が、当時まだ値の安かった落語のレコードに飽き足らず、本格的に録音したいい商品をだそうと企てたところから始まります。
それも人情噺を中心にした怪談ものという大きな企画でした。
現在、「真景累ケ淵」「牡丹灯籠」「怪談乳房榎」などの噺を聞けるのはまさにこの時の仕事があったからなのです。
京須さん自身もまだ30才になったばかりでした。
この時、圓生はもう70才の大台を超えていたのです。

それまでどのレコード会社も二の足を踏んでいたのは、頼んでも断られるに違いないとする圓生という人の難しさにありました。芸人には珍しいくらいの複雑な感情を持っていて、あらゆることを他人任せにしないという頑固な一面を持っていたのです。
それをなんとか説得するためには脇からもう一人の人物に登場してもらわなければなりませんでした。
それがラジオ東京の演芸プロデューサー、出口一雄です。
全幅の信頼をおいていた彼の説得で、ついに圓生は首を縦にふりました。
そのかわり、編集には全て立ち会う。圓朝の名前はだしてもよいが、必ず六代目圓生を前面に押し出すこと。
それまで落語のレコードの値段は一枚千円ぐらいでした。
それを倍の二千円にし、12、3枚組で二万五千円という当時とすれば破格の値付けにしました。

それからの日々は格闘に近いものでした。圓生は「あがり」と「うけ」の下座音楽にも凝りました。
この本を読んでいると、その場の緊張感がありありと伝わってきます。
LP115枚、延べ一千時間を超える録音の始まりでした。時に昭和48年6月5日。
この仕事がうまくいったことで、次の「圓生百席」の企画も通ります。
全ての噺が終わったのは、昭和52年10月3日のことでした。

その直後から落語協会脱退騒動などで、圓生の人生は大きく変化をし、やがて死を迎えます。
録音の場にあらわれるT女と呼ばれる婦人の存在や、圓生のとぼけた人間性など、随所に面白いところはあるものの、芸に対して人一倍真剣に向き合った一人の芸人の生き様がこれでもかと描かれています。
その姿は鬼気迫ると形容してもいいのではないでしょうか。
一読すれば、圓生という人が芸にかけていた情熱の強さが実感できるのです。
筆者が一歩も二歩も下がったところから冷静に見つめた圓生の横顔は正確で容赦がありません。
それだけに大変面白い読み物になっています。

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