大津絵

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志ん生にまつわる話を読んでいると、かならずこの大津絵の逸話が出てきます。
大津絵というのは、現在の滋賀県大津市がまだ宿場町であったころ、遊里柴屋町の妓女たちが歌いだしたのが初めといわれている俗曲です。
一番有名なのは両国風景でしょうか。
小菊師匠や、小円歌師匠が寄席でよくやってくれます。
特に花火が出てきますので、夏の寄席にはぴったりです。

しかし志ん生のは「冬の夜」という曲です。

冬の夜に風が吹く
知らせの半鐘がジャンと鳴りゃ
これさ女房わらじ出せ
刺子襦袢に火事頭巾
四十八組おいおいと
お掛り衆の下知をうけ
出て行きゃ女房その後で
うがい手洗にその身をきよめ
今宵ウチの人になァ
怪我のないよう
南無妙法蓮華経
清正公菩薩
ありゃりゃんリュウの掛け声で
勇みゆく
ほんにお前はままならぬ
もしも生まれたこの子が男の子なら
お前の商売させやせぬぞえ
罪じゃもの

小泉信三(元慶応義塾大学学長)は毎年一度は料亭に古今亭志ん生を招いてもてなし、「志ん生君、さあ、やってくれたまえ」と言って志ん生が唄う「大津絵」を聴いては涙を流し、ハンカチで目を拭ったといいます。この歌の心情にうたれるものがあったのでしょう。
彼は一人息子を25才の若さで失っています。息子信吉は海軍主計大尉でした。
第二次世界大戦中、南太平洋方面で戦死したのです。
あるとき、席亭でこの「大津絵」を唄った後志ん生の姿が見えなくなり、弟子の一人が楽屋に探しに行くと壁に向かって座った志ん生が一人で声もなく涙を流していたそうです。

この逸話は二人の関係を実にみごとに描いたものです。
小泉は志ん生の芸を心の底から愛していました。

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