森敦との対話 森富子 

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By: otama
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文芸雑誌「すばる」2004年2月号に発表された時、すぐに読みました。大変に強い印象を持ったのを今でもよく覚えています。
森敦は好きな作家の一人です。17才で書いた処女作と言われている『酩酊船』を含め、かなりの数を読んでいます。
特に青春時代の彷徨をまとめた作品群と湯殿山中の注連寺で行った講演集などにはひときわ愛着を感じます。
60才での芥川賞受賞が話題になったのは、昭和49年のことです。『月山』という作品は後に映画化もされました。実に不思議な読後感のある作品です。ですます調の小説というのも大変ユニークでした。
今ではどれくらいの読者がいるのでしょうか。
かなり少ないのではないかと思います。
その証拠にここに揚げた本も絶版になっています。中古市場ではかなりの額で取引されているようです。
森敦にはたくさんの伝説があります。
一高を中退したのもその一つでしょう。若くして横光利一に師事し、その後の人生は放浪そのものでした。
小島信夫に『抱擁家族』を書かせたのも彼です。何度もダメをだし、さらに推敲を共に重ね、この作家を世に出しました。後には新井満も彼によって見いだされています。
しかし森自身は、作品をほとんど発表しませんでした。
妻との関係の中で、作品を書き始めると、両者とも不安定になることを知っていたからです。
偶然のようにして、その夫婦と文学を介してつきあい始めた一人の女性がこの作品の筆者です。
後に森家の養女となりました。
彼女がいなければ、『月山』は世に出なかったろうと思われます。
森敦は脳髄だけで生きている人でした。現実の生活には全く無力だったのです。
彼の妻も不思議なくらいに、現実から全てが抜け落ちた暮らしをしていました。極端な話、半年も風呂に入らないというような暮らしを平気でしていたのです。
筆者は自分の借りていたアパートを森敦の執筆のために貸します。妻の傍で書き始めると、彼女が不安を訴えたからです。
さらに筆者は校正も引き受けました。そして励まし続けたのです。ともすれば途中で投げ出してしまう森敦の性癖をよく知っていました。
やがて彼の妻が精神異常を起こし、入院します。その間も、筆者はずっと森敦の面倒を見続けました。
そうして完成したのが名作『月山』なのです。
森敦は大変、伝説に満ちた魅力的な人です。しかしあまりにも現実感がなく、その落差にただ驚くばかりといったところでしょうか。
10年ぶりにこの本を読んでみて、あらためて、一人の人間の不思議さに驚かされました。
数学を愛した彼の頭脳はどのような構造をしていたのでしょう。曼荼羅と数学の構図を同時に解説した『意味の変容』という著書もあります。
亡くなってからかなりの歳月が過ぎました。
しかしぼくにとっては今となっても、興味の尽きない作家の一人です。

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