宮戸川というのは隅田川の下流・浅草川の旧名です。
山谷堀から駒形あたりまでの流域を指すそうです。
現在ではほとんど使われていないのではないでしょうか。
この噺がなかったら、この川の名称は消えてしまっていたに違いありません。
「宮戸」は、三社権現の参道入口を流れていたことから、この名がついたとか。
少し調べてみたら文政年間に、駒形の酒屋が地名にちなんで「宮戸川」という銘酒を売り出したそうです。
元々、心中事件をもとにしてつくられたのがこの噺の原型です。
六代将軍・家宣の時代に、同名のお花・半七という男女が京都で心中事件を起こしました。
それを、近松門左衛門が浄瑠璃にしたのがきっかけです。
前半は寄席でも実によくかかります。
ちょっとした色気もあり、爽やかな印象が残ります。
歌がるたをして、夜更けに戻るお花を家に入れない母親というのは、本当にありうるのかどうか。
素人考えでは、かえって危ない気もしますが、そこがフィクションなんでしょう。
また霊岸島の叔父さんの造形もみごとです。
なんでも1人で飲み込んで納得してしまうというユニークな人柄に愛着を覚えます。
老夫婦の若い頃の話と、猿梯子で二階にあげられてしまった、若い2人の対比が見事です。
2人が結ばれるきっかけとなった雷のシーンも実に色気があって楽しいものです。
噺の途中に入る川柳。
木曾殿と背中合わせの寒さかな。
これも実にいい味わいを醸し出しています。
楽しいのはここまでで、後半はガラリと様相がかわります。
2人の中を許さない半七の父親にかわり、霊岸島のおじさんの世話で夫婦になります。
幸せに暮らしていたその時です。
好事魔多し。
お花がふとしたことで札付きの男たちに襲われ、殺されてしまいます。
1年後、回向の帰り。
同じ船に乗った男と船頭が面白おかしく話している時に、事件のあらましが明かされます。
実は彼らが下手人であったのです。
ここからが聞かせどころです。
一転、三味線が入り、芝居噺となります。
その台詞もこれが定番というものはありません。
演者の芸のみせどころです。
半「これでようすがカラリと知れた」
亀「おれもその日は大勢で、寄り集まって手慰み、すっかり取られたその末が、しょうことなしのからひやかし。すごすご帰る途中にて、にわかに降り出すしのつく雨」
仁「しばし駆け込む雷門。はたちの上が、二つ三つ、四つにからんで寝たならばと、こぼれかかった愛嬌に、気が差したのが運の尽き」
半「丁稚の知らせに折よくも、そこやここぞと尋ねしが、いまだに行方の知れぬのは」
亀「知れぬも道理よ。多田の薬師の石置場。さんざん慰むその末に、助けてやろうと思ったが、のちのうれいが恐ろしく、ふびんと思えど宮戸川」
仁「どんぶりやった水けむり」
半「さては、その日の悪者はわいらであったか」
二人「亭主いうは、うぬであったか」
半「はて、よいところで」
二人「悪いところで」
三人「逢うたよな」
台詞回しを聞いているだけで、歌舞伎の舞台をそのまま見ているかのようです。
しかしこのような芝居噺がだんだんすたれるにつれ、後半は演じられることが、きわめて少なくなりました。
さてオチは、全て夢ということになり、実際、お花は目の前で半七を起こそうとします。
そこで半七の台詞、夢は小僧の使い(=五臓の疲れ)となります。
これは「鼠穴」のオチ、夢は土蔵(=五臓)の疲れとほぼ同じものです。
地口のシャレです。あまりレベルの高いものではありません。
オチを夢で終わらせてしまう噺はかなりあります。
そういう意味でも後半はあまり喜ばれなかったのかもしれません。
いずれにせよ、前半だけで、宮戸川は十分にすばらしい噺として完成しています。
通しで全部聞きたければ、小満ん、雲助あたりでしょうか。
御両所の江戸弁は、実に耳に心地よく響きます。