これはもちろん、「能」の奥義を伝えた本です。
世阿弥が子孫に伝えるために書いたもので、明治になるまで、誰も読むことができませんでした。
何が書いてあるのか。
それはもういろいろな解説書にあたってもらう以外に手はありません。
しかしその中にでてくる言葉はほとんど、どの芸能にも通ずるものです。
落語にもそのまま当てはまります。
今回、読み直してあらためて、世阿弥のすごさを感じました。
その中に幾つか、いいなと思った新しい言葉がありました。
その一つが「時節感当」です。
芸人が出るかなと観客が思っている瞬間に出よというものです。
別の表現でいったら、なんでしょう。
「啐啄同時」でしょうか。
親が卵をつつくのと同時に、中から雛が生まれてくる。
まさにタイミングの美学です。
観客の機を計るということなのです。
珍しいということが、それだけで芸に通じていく。
「秘すれば花」とはまさにこのことでしょう。
同じことをしていたのではいけない。
誰も知らない、新しさ、珍しさが芸になります。
噺は動かせといつも圓生は言っていました。
もう一つ、「序破急」と関連して「かるがると機を持ちて」という言葉があります。
その場の雰囲気にあわせて能を舞うということです。
観客の気分を無視して、自分だけ酔ってはいけない。
これもよく噺家が口にする言葉と同じもののようです。
「芸人に上手も下手もなかりけり、行く先々の水にあわねば」
まさにこれです。
「かるがると機を持ちて」噺をすることができるようになるには、長い時間が必要なことは言うまでもありません。