フランスの高校はこの試験を準備する機関として位置づけられているといってもいい。
『哲学する子供たち』を書いた中島さおりさんは、そう断言しています。
部活も文化祭も体育祭も特にない。
入学式もやらない。
とにかくバカロレアのために、皆勉強するというわけです。
この試験、なんとナポレオンが始めたそうな。
日本でも最近は国際バカロレアという言葉が飛び交っています。
あるいは国立大学をはじめとするセンター入試の内容を大きくかえる動機にもなっているとか。
根幹はなにか。
つまり自分の頭で考えるということなのです。
記憶力だけをただ試しても、実力を知ることにはならないというのです。
バカロレアの試験は全て論述式か口頭試問です。
四択で答えるなどということを彼の国の人たちは考えません。
それというのも、哲学が全ての授業の基礎にあるからです。
参考までに問題を…。
自由とは、何の障碍もないということか。
不可能を望むことは不条理であるか。
言語は道具でしかないのか。
科学は事実の証明に限られるのか。
我々は国家に対していかなる義務を負うか。
認識を欠いた場合、解釈できるか。
政治に関心を持たずに道徳的にふるまうことはできるか。
労働は自意識を持つことを容認するのか。
歴史の問題も難しいです。
ドレフュス事件以来のフランスにおける大きな政治的危機におけるメディアと世論について述べよ。
歴史家とアルジェリア戦争の記憶について考察せよ。
自分の持っている全ての知識を総動員して論述するのです。
今の日本で、このような試験に対応できる高校生がどれくらいいるのでしょうか。
高校にも入学試験がなく、さらに大学まで授業料は無料というフランスの話を読んでいると、全く世界は多様性に満ちていると思わざるを得ません。
というより、根本的に人間観がまるで違うような気がします。
一方、中学卒業の段階で、普通高校に行く生徒、職業高校に行く生徒に振り分けられます。
都会と地方でその比率も違うのです。
どの国の教育システムがすぐれているのかを、軽々に判断するのは難しいことです。
しかし今の日本にはあまりにも哲学がなさすぎるのかもしれません。
プラグマティズムに走りすぎたツケが如実にあらわれています。
数年後には新しい入試が始まります。
誰がどのような基準で何を採点するのか。
それを考えただけで、気が遠くなります。