旦那

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百年目という有名な落語の中に、「旦那」の語源についての話が出てきます。
いつかやってみたい噺のひとつですけど…。

さて解題…。
こんな台詞が続きます。

旦那の語源は天竺に“しゃくせんだん(赤栴檀)という木があり、その根元に“なんえんそう(難莚草)”という草が生えているそうだ。
難莚草を取り除くと赤栴檀は枯れ、難莚草は赤栴檀の露を受けて生を営んだとか。
両者の文字を取った“だんなん”が旦那の語源だそうな。
両者は持ちつ持たれつの関係にあったわけだ。

言い換えれば主人の私が赤栴檀で番頭さんが難莚草ということです。
番頭さんの働きに私はいつも感謝しているんですよ。

失礼ながら昨夜、お店の帳簿を調べさせていただきました。
だが何の不審もありませんでした。
すべて番頭さんの甲斐性と分かって改めて見直しました。

これからもよろしくお願いしますよ。

主人に隠れて遊んでいたことが露見して、びくびくしている番頭を上手に諫める情景です。
旦那の持つ器量の大きさを示す最大のシーンなのです。
ここがうまくできないと、この噺は死んでしまいます。
とても難しいところです。

ぼくは今までこれが語源だと信じていました。
ところが今日の新聞に旦那は「ドナー」から来たと書いてありました。
まさに与えるという意味です。

自分の大切なものを他人に与えること。
宗教で言う喜捨のことです。
人に喜んでいただけるくらいのことができないようでは、旦那にはなれないんですね。
なるほど、生きていくのは誠にややこしやだな。

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