蜜柑

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芥川龍之介の短編にはいろいろな味わいのものがあります。
教科書ではもっぱら『羅生門』かな。
これは高校1年で習う小説の定番です。
しかし一番印象に残る作品を一つあげなさいと言われたら、『蜜柑』でしょうか。

芭蕉臨終の様子を描いた『枯野抄』とか、『杜子春』のような作品も確かに心に残ります。
しかしあえて一作と言われたら、やはり『蜜柑』です。

どうということのないストーリーです。
暮色に枯草ばかりの山腹の中へ汽車がさしかかります。
トンネルに入るところで、一人の娘が突然硝子戸を開けます。
すると息苦しいほどのどす黒い煙が車内へ広がるのです。

やがて汽車はすぐにトンネルを抜け、貧しい町はずれの踏切を通ります。
その踏切の柵の向こうに頬の赤い3人の男の子が立っているのが見えてきました。
娘はしもやけだらけの手を伸ばして、勢いよく左右に振ったかと思うと、たちまち蜜柑を5つ、6つ、汽車を見送った子供たちに向けてばらまきます。
わざわざ見送りに来た弟たちへの惜別の印だったのです。

町外れの踏切と、小鳥のように声をあげた3人の子供たち。
そうしてその上に乱落する鮮やかな蜜柑の色。
それを見ていた私の心の中に、ある得体の知れない朗らかな心持ちが湧き上がってきます。
私はこの時はじめて、言いようのない疲労と倦怠とをそうしてまた不可解な、下等な、退屈な人生をわずかに忘れるのです。

あらすじはこれで全てです。
文章も大変に短い。

しかし最後の行は芥川の持つ生の深淵を同時に覗き込んでいるような、怖ろしい部分です。
弟たちと別れて、奉公先へ赴こうとする姉。
暗い目でその一部始終を見ている私。
この作品の持つ心情の変化に着目すると、空から落ちてきた蜜柑の色までが鮮やかに意識されます。
小説だけが持つ、もう一つの真実といっても過言ではないでしょう。
一読を勧めます。

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