名人 志ん生、そして志ん朝 小林信彦

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2001年10月1日、現代の名人、古今亭志ん朝が亡くなりました。その日著者を突然襲った大きな喪失感から、この本は始まります。もうこれで東京の落語は終わったと感じたと小林さんは書いています。
志ん朝の発する言葉にはいさぎよさと美しさがありました。この喪失感は当分癒えないだろうという予感は、ぼくも全く同感です。今も寂しい気持ちでいっぱいです。
著書の中には、初めて彼と対談をした時の様子が書かれています。
ひとを笑わせるためには体力が必要であり、本当に芸にゆとりがあれば、汗などかくものではないというあたりに、名人と言われた人の真骨頂が垣間見えます。
江戸前の落語というものがこういうものかというのを見せてくれたのが志ん朝だったのです。なぜこんなに早く亡くなってしまったのでしょう。著者は彼の落語をきくことが老後の楽しみであったというだけあって、そのつらさが文中の全編からただよってきます。
名古屋での独演会に通い続けた小林さんは、彼の父、古今亭志ん生についても言及しています。
形から入って形を抜け出た人という評価はまさにその通りでしょう。それを見ていた息子は父を無条件で尊敬し、さらに桂文楽のきっちりとした型をそれに付け加えました。
笑いの質の変化が著しい昨今、この本を読んでいると、なぜこんなに早くこの人は亡くなったのかとくやしくなります。
ぼく自身、志ん朝のファンでした。この人の舞台にはいつも華がありました。もっとたくさん生で聞いておきたかったです。
現在は三百人劇場と国立小劇場での録音が残っているのみです。
本を読みながら、何度も何度も納得することばかりでした。もっと長く生きて、父の名跡を継ぐべき人だったのです。
ちなみにちくま文庫から、この9月、『志ん朝の落語』全6冊が出版され始めました。現在のところ2冊だけですが、今後、来年の2月までに全て出揃う予定です。
いい表情の写真と彼のノートが載っています。もちろん、全て読み通す予定です。

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