花筏 たゆたう記 鳥越碧 講談社 2008年11月

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谷崎潤一郎とその妻、松子について書かれた本です。小説の形をとり、かなり筆者の想像力に負っている部分の多い作品でもあります。しかしその背後にある二人の愛情の形はおそらくこのようなものだったのだろうと、十分納得させられるだけのものを感じます。
鳥越さんの作品は時代小説大賞の第一回作品、『雁金屋草紙』以来でした。読んだのは随分と以前です。尾形光琳の風貌が実に見事に描かれていた記憶があります。
なぜ今回この本を手にしたのか、自分にもよくわかりません。しかし谷崎は好きな作家の一人です。ことに『細雪』の世界にはひかれるものがあります。
松子はまさに『細雪』の登場人物と同じ四姉妹の次女として、幕末から続く大阪の藤永田造船所の創立者一族の家系に生まれます。
ここからの一生はまさに波乱万丈といってもいいでしょう。結婚した相手は大阪屈指の大商人、木綿問屋の通称根津清こと根津商店の若社長根津清太郎でした。何不自由のない暮らしが約束されていたのです。
しかし夫は次々と遊ぶ女性をかえ、彼女が妊娠し、父となっても愛情を格別に注ぐという人ではありませんでした。また義母に子供の養育権を奪われ、母らしいことは何一つさせてもらえなかったのです。
それでも大店の妻という外見は保たねばなりません。そこに彼女の苦しみの萌芽があったのです。
その後、夫は一番下の妹、信子と不倫関係に陥り、やがて日本は長い戦争に突入。ついに根津商店は倒産という最悪の事態に陥ります。夫は完全にただの抜け殻になり果ててしまいました。
その頃に知り合ったのが谷崎潤一郎です。苦しい状況の中で、文学に邁進するその姿に惹かれていきます。ここから、潤一郎は結婚さらに無理な離婚をし、ついに松子と内縁関係になります。
『春琴抄』のイメージはまさに松子と潤一郎の世界そのものでした。しかし同時に三女の重子との同居など、いつも彼の周囲には華やかな女性を配置せずにはおきません。
まさに『細雪』はこの環境の中で生まれるべくして生まれたといえるでしょう。『源氏物語』現代語訳の成功で熱海にも家を買い、京都にも贅をこらした家を求めます。戦争中も防空壕に原稿を担いで逃げた話は今でも有名です。
しかし松子になかなか心の平安は訪れません。ここには作家というものの、業の深さがしたたかに描かれています。妊娠した子供を無理に堕胎させた話など、真偽のほどはわかりませんが、今でもその真意をはかりかねる事柄も列記されています。
全編にわたって女性特有の細かい視点が息づいています。愛情なしに生きていけなかった松子の中にあった不安とは何か。それを正面からともに味わうことになるのかもしれません。
このようなタイプの作家はもう出ないでしょう。とにかく美神のために生きた人です。文学しかおそらく彼の眼中にはなかったのでしょう。美のためなら、人はどのようなこともする。そういうある種の諦念にいろどられた男と暮らした女の物語です。一気に読みました。

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