フラ

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あの噺家にはフラがあるね。人はよくそう言います。
フラってなあに。

一言で説明できる人はいないでしょう。それくらい難しい。芸じゃないね、多分。
たくらんでできるのなら、誰も苦労せずに身につけられます。フラがあるとかわいい。いくつになってもかわいい。
だから芸人は誰もがあこがれます。
しかしその殆どは生まれつきのものなのです。

天然ボケか。そうともいえます。しかしそうともいえない。
もしこれをある種の技術で手にいれることができたら、なんと幸せなことでしょう。多分ダメだな。
つまりノンバーバル・コミュニケーションなのです。

明らかに褒め言葉です。どうも落語の世界から出たらしい。どこともいえないおかしさをいうのですが…。
天分のようなものだから、稽古で得られるものではありません。
うまさとも別。だから、はなはだ厄介です。

結城昌治の小説『志ん生一代』の冒頭に、若き日の志ん生(朝太)が宿銭を踏み倒して留置場に入れられる場面があります。
その留置場でテキ屋の親分と同房になり、その親分に落語を聞かせるのですが、まるで笑ってくれません。
落ち込む朝太に親分が言います。
「そうがっかりするこたあない。おめえにゃあどっかおかしなとこがある。ほかの芸人にねえものがある」と。

まさにこれがフラなのです。志ん生にはなにかがあった。だから可愛がられました。
みんななんとか手にいれようともがいています。
でも難しい。
先代の春風亭柳昇もよくフラがあるといわれました。
しかし根は真面目な人で、とてもフラがある人にはみえなかった。
高座に上がった時だけ、突然あらわれる脳内物質が彼をそうさせたのでしょうか。

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