落語と歌舞伎 粋な仲

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400年の歴史を持つ歌舞伎、一方300年の伝統を持つ落語 。
どちらももちつもたれつで、今日まで発展してきました。
お互いに演目を譲ったり、譲られたり。昼は歌舞伎、夜になったら近くの寄席へと相場が決まっていました。

「文七元結」を国立劇場で見たのはいつのことだったでしょうか。
夏でした。暑い日だった。菊五郎が左官の長兵衛になって…。

落語にはとくに忠臣蔵を扱った噺が多いようです。「四段目」「七段目」などは特にその代表格ではないでしょうか。
テレビのない時代、誰もが忠臣蔵のストーリーをよく知っていました。
それだけにどう演出しても、お客は大変に喜んでくれたのです。
若旦那から丁稚の定吉にいたるまで、芝居が大好きでした。

一方役者の噺はどうでしょうか。
なんといっても「中村仲蔵」でしょう。
江戸時代、孤児から歌舞伎役者の頂点にまで上りつめた人です。この時代を通じてたった一人だけだったそうです。
それだけにどれほどのイジメがあったことか。
松井今朝子さんの本を読んでいると、ここまで役者の世界は過酷なものかと、半ばあきれてしまいます。
しかしそれが現実だったのでしょう。
もう死んでしまおうと思ったことも何度かありました。
それ故に、自分が名題に昇進した時の喜びは何にもまさっていたことと思われます。
ところが忠臣蔵で与えられた役が、斧定九郎一役。
誰もやりたがらない山賊の役です。出るとすぐに殺されてしまうのです。
特に五段目は弁当幕と呼ばれ、誰もが真剣に舞台を見てはくれませんでした。
この噺は実にしみじみとした、いい味わいを持っています。
先代林家正蔵を筆頭に、多くの落語家がこの人情噺を高座にかけています。

その仲蔵が出てくるもう一つの噺に「淀五郎」があります。
初日を前に塩冶判官の役者が急病で出られなくなります。そこで座頭の市川団蔵は、前から見込みがあると目をつけていた若手の澤村淀五郎を抜擢します。
見せ場の四段目、判官切腹の場では…。

淀五郎扮する判官が浅黄の裃、白の死装束で切腹の場へ。本来なら判官が、小姓の力弥に「由良之助は…」と訊ねます。
やがて切腹の前に対面しますが、いくら呼んでも由良之助役の団蔵が傍に来ないのです。あまりに芝居がまずいというのがその理由でした。
舞台の上でさえも、こうしたつらい日々があったことがここでも明かされています。

その彼にアドバイスを与え、一人前にしたのが仲蔵なのです。志ん生、圓生それぞれに味わいがありいい噺です。
この他にも歌舞伎を題材にした話はいくらでもあります。「蛙茶番」などは実に愉快そのものです。
噺家はとにかく歌舞伎を見なくちゃいけないと、よく師匠に言われるそうです。
所作事一つでもきちんとできるようになるには、まさに基礎を養う目が必要な所以なのでしょう。

 

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