ここまで突然落語にはまるものかというのが率直な感想です。
山崎邦正というお笑いタレントについて詳しく知りません。
テレビで時々みかける程度でした。
それが突然、枝雀の高津の富(宿屋の富)にひかれ、どうしても落語がやりたいと決心したのです。
他の噺から入ったら、まさかこんなことにはならなかっただろうと述懐しています。
なにがそこまで彼をひきつけたのか。
借りられるだけのCDを聞き、噺の数だけでも2千は軽く超えたとか。
今までの芸能分野とはまったく違う引力と方向を持つベクトルが突然目の前に出現したとしか思えません。
40才になって落語を志す。
それも今までほとんど聞いたことのない世界に入るのです。
しかし、ためらわせるものがなかった。
そこが面白い。
もう1人の主役は月亭八方です。
彼は随分と人情家で面倒見がいい人のようです。
突然月亭を名乗りたいといった時も快く引き受け、しばらく様子をみてくれました。
本当に弟子になりたい気があると見込んでからは、名前までつけてくれたのです。
もし他の師匠だったら、ダメだったかもしれません。
あるいはヒエラルヒーがきっちりと出来上がった東京の落語界では無理だったかもしれません。
この本の中で一番いいところは、立川志の輔に「鼠穴」の稽古をしてもらうところです。
「ねずみ」じゃなくて、「鼠穴」なのと彼は問いただします。
どうして、あれはぼくの得意な噺じゃないけど…。
志の輔はなぜと何度も問い質しました。
師匠を超えて、稽古を頼むということは、もうそれだけでルール違反です。
しかし志の輔は、あえてそれを言わず、少し勉強しなおしてから、必ず稽古をつけますからと約束しました。
それからしばらくして、電話があり、都合のいい日はいつかと聞いてくれました。
教える側から都合のいい日を訊ねるということも常識に反しています。
丁寧に稽古をつけてくれた上に、あとからパソコンで打った原稿まで送ってくれました。
さらに時を経て、覚えたら一度聞かせてほしいというのです。
その時、月亭方正はまだ半分しか覚えていませんでした。
それでも黙って途中まで聞いてくれたのです。
こんなことは普通ならありえないし、失礼このうえないということを後に彼は痛いほど知ります。
あまりにも無知でした。
それでも志の輔は辛抱強く待ってくれ、ついに高座での上演を認めてくれたのです。
この本で一番その人柄を強く表現したのは、志の輔でしょう。
この忍耐強さが彼の信条といっても過言ではない。
しかしそれをよく月亭方正は受け止め、本に書きました。
大阪に移住し、落語家となった彼のこれからに幸多からんことを祈ります。
今、道の険しさを一番強く感じているのは、当の本人に違いありません。