呵々大将 竹邑類 

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副題に我が友三島由紀夫とあります。
著者は演出家で振付師です。
愛称はピーターという名前でした。
高知の田舎から出てきた青年が、60年代、新宿のジャズバーで三島由紀夫と知り合うところから、この本は始まります。
時代はまさに沸騰していました。
当時人気絶頂のロカビリー歌手、藤木孝などが出入りする店内は、夜になると急になまめかしく蠢きます。
酒と薬が全ての世界でした。
三島はぎらぎらした目で、店内を物色します。そこにいる人間達全てが彼の小説にエネルギーを与えてくれたのです。
彼は店の客を何人も連れて、銀座の中華料理屋やフランス料理屋へ繰り出します。そこでの乱痴気騒ぎをともに楽しみます。しかし同時に三島は他の客や支配人の様子を、冷静な目で観察し続けるのです。
彼らはそれまで食べたことのない、ピータン、燕の巣、フカヒレ、さらにはフォアグラなどの食材に大声を出します。面白いことをいつも虎視眈々とねらっている作家の横顔がそこにはあります。
その後、著者は三島と親しくなり、彼を夜、崩れかけた教会へ連れ出したりもしました。薬で半分朦朧とした女が一緒についてくる風景は、それだけで一つの小説になっています。
やがて彼の自邸へ招かれ、パーティでツィストを踊りまくります。瑤子夫人のおおらかな風貌も見事に活写されています。
つねに新しいことを求める作家はアフリカの密教、ブードゥー教の儀式をやるという鎌倉の山中にまでつきあいます。生け贄に捧げられた鶏の血を身体に塗りたくる遊びまで見学したのです。
彼はピーターが登場する小説『月』と『葡萄パン』を次々と雑誌「世界」に発表しました。
筆者が後に「屋根の上のバイオリン弾き」に出演した時も瑤子夫人同伴であらわれ、終演後食事に誘ってくれたりもしました。
著者は三島が自決して後、娘の演劇プロデューサー、平岡紀子さんと一緒に「サロメ」や「近代能楽集」の演出などにも深く関わりました。
人との出会いは偶然ですが、それを成長、発展させるものは意志の力ではないでしょうか。
時代は三島の予言した通り、「それなりにお金持ちで、それなりに華やかなのに、いつ晴れるとも知れない霧の立ちこめる中、つかみどころのない生活、色あせた繁栄」の中を今もさまよっているようです。
不思議と躍動していた時代の息吹がうらやましくなりました。
一つの時代の記録として価値があると思います。

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