赤めだか 立川談春 扶桑社 2008年4月

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By: Paul L Dineen
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 現在大変人気のある噺家、立川談春が師匠、立川談志に入門してから真打ちになるまでの話です。落語協会を飛び出した後の談志は、寄席という場所へ近づくことができませんでした。
そのため弟子達も通常の前座修行を行うことが不可能になります。その分、悩みも深まります。師匠方のお茶を出すとか、鳴り物の手伝いとか、着物をたたむなどという修行も、一切ないのです。
その分だけ稽古に励めるのかといえば、それはそう簡単なものではありません。また師匠が次々と発する命令に忠実に従うということも、至難でした。とにかく金魚のエサやり、ツツジの剪定、水道の蛇口工事と次から次へと、いろんな注文が舞い込んでくるのです。
さらには内弟子はとらないという原則通り、家から通うため、無給金の間、自分の食費を稼ぎ出す必要もあるのです。
こうした厳しい状況の中で、入門は許されたものの辞めていく仲間もかなりいます。
一度は噺家の世界に憧れてみたものの、現実はそれほど甘いものではありませんでした。
立川流には二つ目になるための試験として、噺を50覚えるという苛酷なハードルがあります。何年経っても覚えられない人は、この昇進試験さえも受けられないのです。
談春以下4人が全員二つ目になれた時の嬉しさは、格別なものだったようです。その喜びが行間から滲み出てきます。それを許した談志の横顔もみてとれます。
師匠は厳しい人ですが、やはり温かく、いつも弟子のことを気遣ってくれます。ただし揺らぐ人だと談春は看過しています。彼の審美眼を満足させることがいかに難しいのかということも、この本には如実に示してあります。
最後の章では7日間連続の独演会に人間国宝小さんを呼んだ様子が描かれています。談志にとっては大切な師匠にあたりますが、ケンカ別れをして、彼の元を去っています。
その大師匠を呼び、喜んでもらうことで、最後の最後に談志を引き合わせようとしますが、それは孫の花緑の忠告によって、実現しませんでした。それでも小さんを心から尊敬している談志にかわりはありません。このあたりが人間のドラマでしょうか。
その後すぐ、談春は真打ちになります。
現在の彼の活躍は誰もが知っているところです。
落語は人間の業の肯定そのものです。その意味で、この本が芸というものの深さと難しさを感じさせる一つの契機にもなっていると感じました。大変素直でいい本です。読後感は実に爽やかでした。

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