落語家はなぜ噺を忘れないのか

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落語家だって人間です。そんなにいつまでも同じ噺を覚えていられるものじゃありません。なんて言ったら怒られるかな。
でも本当のことだから仕方がない。
プロの噺家さんでも腹に入るまで、何度も何度も高座にかけるのです。
だから寄席に出る。お客様の反応を見ながら修正を続けます。
その繰り返しがとても大切です。ギャラがいくら安くても、寄席は修行の道場そのものなのです。
しかし今は噺家の数が多すぎる。
寄席に出られない落語家のなんと多いこと。

さて、たくさん覚えている人でも、すぐにやれるネタがいくつあるのかと訊かれれば、かなり戸惑うのではないでしょうか。
多くて50くらい、普通は30前後。もっと少ない人なら、それこそ先代の桂文楽みたいになります。
そのかわり、練って練って練り上げる。
だからどこでやってもほとんど同じ時間に終わるのです。職人芸というのはまさにこのことを言うのかもしれません。

じゃあどうしてこんなタイトルをつけた本が出版されるのか。ここいらが出版の妙味でしょうか。
もちろん、記憶法の本じゃありません。
何度も何度も稽古をして身につけた噺は花緑師匠で約250くらいあるそうです。そのタイトルも全部載せてあります。
しかし自分の任にあった噺ということになると、急に減るとか。
リストをみていると、実に面白いです。

祖父にあたる五代目柳家小さんに教えてもらった噺が大半だそうです。
弟子にはほとんど稽古をつけなかった師匠でしたが、やはり孫はかわいかったんでしょう。花緑師匠は恵まれていたというか、本当に幸せ者です。
しかし本人はかなり悩んだ時期もあったようです。
そのことはあちこちの本に書いています。

さて師匠は剣道の極意、「守・破・離」ということを常に説いたそうです。
最初はとにかく同じように真似をし、やがて殻を破って自分のものにしていくまでの道のりです。

彼は全部ノートに書き写して覚えました。一字一句、間違えないようにして聞き取り、それを咀嚼していったといいます。
なかには何度か聞くだけで、覚えてしまう噺家もいるそうです。
その代表として、立川談春をあげています。
彼はすぐにその場でやれるそうな。花緑が教えた噺を目の前でやってくれた逸話がのっています。
ただし忘れるのも早いそうです。しかしもう一度あれがどうだこうだと話をすると、またすぐに復活するらしいのです。
これも才能と呼べるのかもしれません。

最終章では祖父直伝の「笠碁」をどうやったら自分に違和感なくできるのかについて書いています。花緑は悩みます。
師匠は碁の一目を待ってくれという相手に、金の返済を今まで待たなかったことがあるかという最初のところで二人の関係をあらわします。しかし花緑はまったく違う展開を考えます。
そして自分の笠碁をつくるのです。その全文が掲載されています。
いつか、祖父の型に戻るかもしれない。
でも今は自分のやり方でやっていたい。
芸人の苦しさはまた喜びにも通じます。
だから終わることなく、稽古に励むことができるのかもしれません。

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