幾代餅と紺屋高尾

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落語
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幾代餅は古今亭のお家芸です。
一時は、志ん生だけしかやりませんでした。
紺屋高尾とは同工異曲。
台詞回しや設定は違うものの、大団円に向かうあたりは同じです。

ただし一方は搗米屋の職人清蔵、もう一方は紺屋(こうや)の職人久蔵。
どうしても会いたい一心の二人ですが、清蔵は1年の間稼いだ金を持って吉原へ。
久蔵は3年働いてやっと会えます。

会いたい相手は姿海老屋の幾代太夫と三浦屋の高尾太夫。
職人では格が不足ですので、一方は野田の醤油問屋の若旦那、もう一方は流山のお大尽ということになります。

このあたりも落語ですからかなり曖昧になってはいますが、初回で松の位の太夫が客と枕をかわすなどということはありません。
どんなことがあっても馴染み(3回目)になるまでは、ありえない話です。
しかしそこが廓ばなしの粋なところ。
嘘も愛嬌のうちというやつです。
年季があけるのはなぜか翌年の3月と2月で、ここも微妙に違います。

ちなみに吉原の茶屋にも顔のきく医者はかたや藪井竹庵、もう一方は武内(たけのうち)蘭石。
このような通人がいなければ、とても会うことなどは無理な話です。
持って行く金額も15両に10両、噺家によっては20両だったりもします。
こういう細部もきちんとみておくと、後で楽しみが増すというものです。

「今度いつ来てくんなます」という花魁の言葉遣いも「まほう言葉」「廓(さと)ことば」というのだとか。
全国から集まっていただけに、地域性を感じさせないための方便だったのでしょう。
「ああしまほう、こうしまほう」と使います。
京都の舞妓が使うあの独特の言い回しと同じ性格のものと思われます。

実はここからが噺の聞かせどころとなります。
自分は実はしがない奉公人だと告白するのです。
この部分が話者の力の見せ場にもなります。
その真情に打たれた幾代と高尾は、年季が開けたら女房にしてくれと言うのです。

さて、その3月になり、幾代が約束通り清蔵を訪ねてやって来ます。
ここは高尾の方が1月早い。
夫婦となって一方は幾代餅という餅屋を始め、大変に繁盛いたします。
高尾の方はここで甕のぞきというちょっとした場面が加わり、賑やかになります。

傾城に誠なしとは誰が言うた、という噺家の一言が最後の合図です。
おなじみ両国名物「幾代餅」の一席でございますとなるか。
「紺屋高尾」でございますとなるか。

いずれにしても廓噺の名作であることにかわりはありません。

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