協会分裂

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昭和53年の協会分裂騒ぎから35年近くの年月が過ぎました。
当時を知っている人も随分減ったのかな。
しかし後遺症はいまだに残っています。
というより、そんなことはもうどうでもいいのかもしれません。

とはいえ、当事者達にはさまざまな思いがあることでしょう。
渦中にいた噺家の生き様が一番赤裸々に書いてある本は何かといえば、それは三遊亭円丈の『御乱心』です。
現在は絶版です。
あれだけいろんな本を復刊している河出文庫にも、これは入っていません。
当分だめかな。それほど生々しい。ルポとしてはとびきりの出来です。

三遊亭圓生という人の横顔をここまで描いた本はありません。
弟子の円丈は今でもずっとこの時のことをひきずっているんだろうなあ。
あれだけのことを師匠に言われ、されたら忘れることはできません。
それも芸の上では尊敬している師匠ですから。

詳しい話を書く気力はありません。ネット上にはこの事件について書かれた記事があふれています。
試みに一つだけ紹介しておきます。
ウィキペディアの落語協会分裂騒動です。

元はといえば、やはり多くなりすぎた入門者、二つ目をどうするか。さらには真打とは何かという根本の問題につきあたるのでしょう。
さらには立川談志、三遊亭円楽の野望も垣間見えます。
このあたりは人によってさまざまな解釈に分かれます。

ところで『落語協団騒動記』の中にはこんな記述があります。

談志が師匠小さんに向かって「私に会長をやらせてくれ」といった時には、さすがに穏やかな小さんも憤ったようです。
「私なら芸も人気も誰にも負けないし、第一協団の運営の仕方だって心得てますし」
その時、小さんのお内儀さんがいきなり談志の顔に平手打ちを食らわせます。
「傲慢なことを言うな。お前みたいな自分の事しか考えない奴に、会長をまかせられるか。お前のその人間性がダメなんだ。第一、芸は誰にも負けないだと。お前の芸はとっくに弟弟子の小三治に抜かれてらあ。俺の目は節穴ではないわ。お前みたいな奴に会長を任せられるか」
小さんのお内儀さん、生代子夫人はいつも自分のことを「俺」と呼んでいました。
これが後に立川流として分かれていくことになる遠因の一つになったのです。

円丈の本は渦中にいた人でなければ、書けないものです。真打になったばかりで、さてこれから寄席にでられるという矢先の事件でした。
師匠とともに協会を飛び出せば、そこで寄席との関わりは断ち切られてしまうのです。容易に決断はできません。しかし師匠が絶対の世界です。
寄席に出たいといっても、おまえは俺のいうことが聞けないのかと罵声を浴びせられます。
お内儀さんにも、恩知らずと罵られます。その心中はどのようなものだったのでしょうか。想像するに余りあります。
読んでいても気の毒でなりません。
まさにサラリーマンの悲哀に通じるものがあります。

伯楽は古今亭志ん朝のそばにいたということで、志ん朝の立場をうまく描いています。寄席がなければ、芸人は伸びないという基本を守りたかった彼は、結局協会に復帰します。その苦渋の日々が手にとるようにわかります。
伯楽は少しいい役どころを演じすぎている。これがぼくの実感です。実際にこの通りであったかどうか。少し疑問も残ります。
なぜ小説仕立てにして、登場人物の名前までかえたのか。
ここにも様々な思惑がある。

いい年の大人たちが芸という不確実なものを追い求める世界です。芸には基準がありません。それだけに読んでいると息苦しくなります。
この分裂騒動は、随分と長い時間を経過しています。
しかし根本的な問題はなにも解決していません。
現在も落語界は分裂した後をそれとなく修復しつつ、さてこの先はどうなるのか。
誰にも未来像が見えないまま、時は過ぎていくのです。

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